第1章:知識を実務の力に

―試験知識の実務応用への入口―
今夜もミッドナイト不動産鑑定の灯りがともる──
モーリーが、引き出しの奥から見つけた一冊の古いノート。
表紙には、うっすらと「はじまりのノート」と記されている。
そこには、誰の手によるのかもわからない、謎めいた言葉が書かれていた。
「理論を実務に重ねると、何かが起こる」
「モーリーさん、これ、宝物が出てくる予感がする!」
ニャッタは目を輝かせてノートを見つめる。
──ここは、“試験で学んだ知識”と“実務での気づき”が交差する場所。
モーリーとニャッタの、鑑定評価の“森”へと足を踏み入れる一歩が、いま静かに始まります。


「試験で勉強した鑑定理論は、実務の中に生きてるよ。実務を重ねることで、その“つながり”に気づけるようになるんだ。鑑定理論を“使える知識”として実務に活かしていこう。」

「うん…! 試験のときに暗記したけど、実務ではどう使うのかイメージできなくて…」

「じゃあ、今から一緒に“理論と実務のつながり”を見ていこうか。ここで紹介する内容は、試験勉強のときにも目にしたことがあるかもしれない。でも、ただの復習じゃないよ。実務でこの理論が“どう息づいているか”を知ることが、実践への第一歩になるんだ。」
1. 不動産価格は、社会の価格秩序の中にある
不動産の価格は、単独で決まるわけではないよ。
社会全体の「価格秩序(価格体系)」の中にあって、他の一般の諸財との関係で決まるんだ。
社会全体の経済状況や物価水準と無関係には決まらないということだね。
だけど──不動産の適正な価格って、わかりにくい。
なぜなら、取引の当事者の事情や立地、建物の状態、市場の動向など、価格を左右する要因がとにかく多いからだよ。
だからこそ、不動産鑑定士の出番。
不動産が社会の中でどこに位置づけられるべきか、その「適正なあり所」を価格として示すのが、不動産鑑定士の役割だよ。
2. 鑑定評価とは何か?
まず、鑑定評価の定義をおさらいしよう。
鑑定評価とは、対象不動産の経済価値を判定し、その結果を価格(または賃料)として明示すること。
この価格は、レンジ(幅)ではなく、ひとつの具体的な金額で示さなければならないんだ。
正常価格とは?
基本的に、鑑定評価では「正常価格」を求めるよ。
その定義は、以下の通り。
「市場性を有する不動産について、現実の社会経済情勢の下で合理的と考えられる条件を満たす市場で形成されるであろう市場価値を表示する適正な価格」
つまり、理想の価格ではなく、現実の市場で合理的に成立すると考えられる価格だよ。
過去には、「正常価格は『あるべき価格(ought-to-be price)』なのか『ある価格(is price)』なのか」という議論がありました。
「あるべき価格」とは、理論的にはこうあるべきだとされる理想的・規範的な価格を指します。一方、「ある価格」とは、現実に市場で成立する価格、すなわち「ありのままの価格」です。
現行の定義では、この点が明確にされており、「ある価格」──すなわち現実の社会経済情勢を所与とした価格であることが強調されています。
3. 鑑定評価の視点 ― 価格諸原則で読み解く
不動産の価格形成過程を理解するための視点として、「価格諸原則」があります。
これらの視点を意識することで、価格が“なぜそのように形成されるのか”を論理的に説明することが可能となります。
価格諸原則(11の原則)
需要と供給の原則 ⚖️

「需給バランスは、三者(効用、相対的稀少性、有効需要)によって左右されるんだ。これらを分析するのが市場分析だよ。」
理論ポイント:一般に財の価格は、需要と供給の関係によって決定されます。不動産も他の財と同様に、需要が高まれば価格が上昇し、供給が増えれば価格が下がるというメカニズムで価格が形成されます。
実務ポイント:不動産鑑定評価では、「需給関係をどう読み解くか」が実務の要です。特に重要なのは、需要者の行動や心理、選択肢の幅に着目すること。価格の水準だけでなく、「なぜその価格になるのか」「どのような需要が存在するのか」を的確に把握することで、査定の根拠が明確になります。
2. 変動の原則 🌊

「価格は“その瞬間”だけを切り取るんじゃなく、変化の流れを見る。静的じゃなく動的な視点が欠かせないよ。」
理論ポイント:不動産の価格は、経済情勢や市場の動向など、価格形成要因の変化に影響されて常に変動します。鑑定評価では、こうした変化の過程を的確に捉えることが求められます。
実務ポイント:市場は常に動いています。鑑定評価では、現在の状況だけでなく、直前の動きや今後の予測をふまえた「動態的な視点」で捉えることが重要です。
3. 代替の原則 🔄

「不動産の価格は、比較によって形成されるんだね。」
理論ポイント:ある財に対して代替可能な他の財が存在する場合、それらの価格は相互に影響し合います。不動産も、類似の不動産や他の財との比較で価格が調整されます。
実務ポイント:評価対象だけを見るのではなく、買い手にとっての「代替不動産」も視野に入れて分析します。競合物件の存在が価格を左右します。
4. 最有効使用の原則 🗺️

「“どう使うか”で、不動産の価値が変わるんだ。」
理論ポイント:不動産は、その効用が最も発揮される使用方法を前提として価格が形成されます。鑑定評価では常に対象不動産の最有効使用を前提に評価します。
実務ポイント:現実の使い方だけで判断せず、「不動産のポテンシャルを最も引き出せる使い方(最有効使用)」を費用対効果の視点で判定することが必要です。
5. 均衡の原則 🧩

「内部構成要素のバランスが取れてこそ、本来の力を発揮できるんだ。」
理論ポイント: 不動産を構成する内部要素の均衡が取れている場合に、その不動産の効用が最大限に発揮されます。
実務ポイント:敷地内における建物や通路、庭等の配置、土地建物の規模の対応関係等、不動産内部の均衡状態を見極める必要があります。
6. 収益逓増・逓減の原則 📉

「不動産の価格は、お金をかけたら、かけた分だけ高くなるわけじゃないよ。」
理論ポイント:不動産から得られる収益は追加投資に応じて増加しますが、ある点を超えると頭打ちになる傾向にあります。限界効用逓減の法則。
実務ポイント:建物へ追加投資(修繕費、資本的支出など)の効果を検討する際、どこまでが費用対効果として合理的かを見極めることが求められます。
7. 収益配分の原則 🥧

「“最後に残る余剰”が、土地の価値なんだ。」
理論ポイント:土地・資本・労働・経営といった要素の結合から得られる総収益は、それぞれの要素に配分されます。土地に帰属する残余利益(生産力余剰)は、土地の価値の基礎となります。
実務ポイント:収益還元法などで評価する際、土地がどれだけの収益を生むかを把握するには、他の要素(建物や経営)への配分を整理したうえで「土地に残る部分」を正しく評価する必要があります。
8. 寄与の原則 🔹

「追加投資が価格に与える影響を見極めよう。」
理論ポイント:不動産の一部が、全体の価値にどの程度貢献しているかを評価する視点です。
実務ポイント:増改築・敷地拡張・用途変更など、個々の構成要素の変更がどのように全体価値に影響するかを検討する際に、寄与度の分析が必要となります。
9. 適合の原則 🏡

「周辺環境との調和が、不動産の価値を支えているんだ。」
理論ポイント:不動産が地域の特性に適合しているほど、効用が発揮され、価値も維持されやすくなります。
実務ポイント:地域の街並みや用途地域に調和した建物であるかは、最有効使用判定のポイントです。
10. 競争の原則 🏁

「利潤があるところには競争が生まれる。競争によって利潤は減少し、価格の上昇が抑制されるんだ。」
理論ポイント:超過利潤が見込まれる市場では競争が生じ、やがて利潤は縮小して価格は均衡へと向かいます。不動産市場でも、収益性の高いアセットには新規参入の動きが生まれやすくなります。
実務ポイント:不動産は供給の弾力性が低く、土地を無限に増やすことはできません。また、用途変更や再開発には時間とコストがかかるため、他の財と比べて競争の影響が緩やかに表れる傾向があります。
11. 予測の原則 🔭

「将来の見通しは、現在の価格にすでに反映されているんだよ。」
理論ポイント:不動産の価格は現在の状況だけでなく、将来の経済情勢や地域発展の予測が反映されます。
実務ポイント:再開発・人口動態など、将来的な変化を見据えた分析が必要です。価格は「今この瞬間」の反映ではなく、「将来の期待」が含まれている点に注意します。
これらの原則はすべて、価格がどのように形成されるかという法則性を明らかにするものです。
特に「最有効使用の原則」は、不動産の用途や利用形態の判断において、極めて重要です。
4. 不動産の価値を捉える ― 価格の三面性と三方式・三手法
不動産の価値には、次の3つの側面(=価格の三面性)があります。これらを総合的に捉えることが、鑑定評価の出発点です。
- 費用性:その不動産を作るのにどれくらいの費用がかかるか(=コストに基づく価格)
- 市場性:同等の不動産が市場でいくらで取引されているか(=マーケットによる価格)
- 収益性:将来的にどれだけの利益(収益)が得られるか(=収益力に基づく価格)
これらの三面性に対応する鑑定評価の枠組みとして、「三方式」と「三手法」があります。
三方式(評価の基本的な方向性)
- 原価方式:費用性の観点から価値を把握する方法
- 比較方式:市場性の観点から価値を把握する方法
- 収益方式:収益性の観点から価値を把握する方法
三方式は価値を捉える基本方針であり、それに対応する具体的な計算手法(=三手法)が用意されています。
三手法(実際の評価で用いる具体的な方法)
- 原価法:原価方式に基づく手法(再調達原価から価格を導く)
- 取引事例比較法:比較方式に基づく手法(市場での取引事例をもとに価格を導く)
- 収益還元法:収益方式に基づく手法(将来の純収益と利回りから価格を導く)
三手法はそれぞれ異なる観点から価格を導き出しますが、すべての手法に三方式の視点を適切に織り込むことが求められます。つまり、手法と方式は一対一の対応関係ではありません。
三手法は、更地だけでなく、複合不動産や収益物件の評価においても活用されます。理論的には、それぞれの手法で求められた価格は、同一の経済価値を反映するため一致するはずですが、実務上は乖差が生じることもあります。
そのような場合には、次のような視点から検討を行います:
- なぜ乖差が生じたのか?
- 各手法で、価格形成要因は適切に考慮されているか?
- 価格形成要因の二重計上や考慮漏れがないか?
こうした検討を通じて、価格の精度と信頼性を高めていくことが、鑑定評価の基本姿勢です。
5. 市場における“正常な価格”を成立させるための基本条件
不動産の価格形成には、以下の3条件が必要です:
- 効用: その不動産が「役に立つ」こと(快適性、収益性など)
- 相対的稀少性: 需要に対して供給が限定的であること。不動産はオンリーワンの資産。
- 有効需要: 購入・利用意思と、それを実行できる資金的裏付けの両方を持つ需要のこと。
※特殊価格を求める場合など、市場での需要が前提とならない評価もあります。
6. 市場で取引されない不動産の評価
すべての不動産が市場で活発に売買されているわけではありません。
公共施設、文化財など一部の不動産は、「特殊価格」として鑑定評価されます。
また、「限定価格」や「特定価格」など、取引事情や法的制約に応じた価格もあります。
どのような前提の下での価格なのか、価格の性格を明示することが重要です(評価基準第2章)。
7. 不動産は合理的な価格で売買されているとは限らない
不動産の価格は、一般の商品と異なり、必ずしも合理的に決定されているとは限りません。
そのため、専門的かつ中立的な判断に基づく「鑑定評価」が求められます。
その背景には、次のような理由があります:
1. 取引に個別の事情が介在する
急な資金需要や特別な目的(例:隣地買収など)によって、市場価格から逸脱した取引が行われることがあります。
2. 供給量を柔軟に調整できない
土地は無尽蔵に供給できるものではなく、用途変更や造成・埋立を伴う供給に限界があります。
3. 不動産は唯一無二で、価格が見えにくい
同じ立地の不動産は存在せず、土地の形状や建物の状態などがすべて異なるため、比較が難しく、価格の妥当性が把握しにくいのです。
星空ノート(まとめ)
不動産の鑑定評価では、 価格の本質を理解し、社会の価格秩序の中で対象不動産の「あるべき位置」を見つけ出すことが求められます。
そのために必要なのが、価格諸原則の理解、最有効使用の判定、そして価格の三面性に基づいた手法の適用です。

🌙 次回予告
第2章:依頼を受ける ─ 鑑定評価の起点を確かなものに
鑑定評価の出発点となるのが「依頼の受け方」です。
次章では、依頼内容をどう確認し、評価の前提条件をどう整えるのか。
確認書や依頼書に記載すべき基本的事項、そして条件設定の考え方まで──
実務において「信頼される評価」を支える、基礎の手順を丁寧にたどります。

→ 森のひとコマ:トッケー便
※この物語は、鑑定評価の実務とは一切関係ありません。フクロウとヤマネコの、静かな森のひとときをお楽しみください。