お金の時間構造

モーリー

不動産価格を形成する金利と時間の読み方

まえがき

この本は、ある古い書庫の片隅で見つかった手記をもとに整理したものである。

書き手の名は分からない。

ただ、長く不動産の鑑定の仕事に携わっていた人物らしい。紙の縁はうすく色づき、ところどころに、鉛筆の書き込みが残っていた。専門書というよりは、ひとりの実務家が、自分のために整理し直したような帳面だった。

書かれているのは、難しい理論ではない。

利回りという言葉が、なぜ生まれたのか。不動産の価格は、どこから立ち上がってくるのか。割引率は、何を引き戻すための数字なのか。そういう、足元の問いだった。

数式は、ほとんど出てこない。式の証明よりも、「お金が時間の中でどう動くか」、その手触りのようなものを、書き手は伝えようとしていたように思える。

本書は、初めて不動産鑑定評価に触れる人を念頭に置いている。だが、読み終えたとき、なんとなく金利と不動産価格のあいだに線が引けるようになっていてほしい。価格が、どんな順序で立ち上がるのか。その道筋を、静かにたどっていく本である。

不動産鑑定評価基準や運用上の留意事項、価格等調査ガイドラインに記された言葉は、できるだけ尊重した。ただし、用語の説明そのものを目的にはしていない。基準の言葉が、実務の風景の中でどう生きているのか。そこを掴んでもらうことを、優先した。

制度や運用は更新されていく。実務に使うときは、必ず最新の原典にあたってほしい。巻末に、参考にした原典をまとめてある。

では、はじめます。

ミッドナイト文庫 編集部

第一章 お金の時間構造

お金は、時間と信用の中で動く。

利回りは、その判断を映す。

一 今のお金と、将来のお金

今のお金と、十年後のお金は、同じではない。

これは気分の話ではなく、お金そのものの性質である。

誰かにお金を貸すとき、一年後にぴったり同じ額が返ってくるだけでは、足りない。その間、自分はそのお金を使えなかった。途中で別の機会を諦めたかもしれない。返ってこないかもしれない、という不安もあった。

だから人は、時間と信用に対する対価を求める。

元本に対して、その対価がどれくらいかを示す割合を、金利という。金利は契約の時点で決まり、借り手の信用の度合いによって変わる。

二 時間価値

今の百万円は、将来の百万円より、価値が高い。

金利のある世界では、今の百万円は、運用すれば増える。裏返せば、将来の百万円は、今の百万円より、すこし軽い。

この「今のお金のほうが価値が高い」という性質を、お金の時間価値と呼ぶ。

利息にさらに利息がつく複利の仕組みも、もとをたどれば、この時間価値から出てきている。お金は、時間の流れの中で、自分を増やすか、あるいは少しずつ目減りしていく。何もしないことの中にも、時間の作用は静かに働いている。

三 割引と、割引現在価値

時間価値を、逆向きに使うこともできる。

将来のお金を、今の価値に引き戻す。これを割引という。

たとえば、金利が三パーセントの世界で、一年後の百万円を考えてみる。今の九十七万円ほどを、利回り三パーセントで運用すれば、一年後におよそ百万円になる。だから、一年後の百万円は、今のおよそ九十七万円と釣り合う。これが、将来のお金を現在の価値に換算するという考え方である。

こうして現在に引き戻したお金の価値を、割引現在価値と呼ぶ。

収益が、いつ入ってくるかによって、現在の価値は変わる。十年後の百万円と、一年後の百万円では、同じ百万円でも、現在価値はまったく違う。遠い将来の収益ほど、割引の影響は大きい。

逆に言えば、目の前の収益と、ずっと先の収益では、価格に対する寄与も異なる。価格を組み立てるとき、この差を見落とすわけにはいかない。

四 次の章へ

お金は、時間の中で動く。

金利は、その動きの基準であり、割引は、その逆算である。ここまでは、お金だけを見てきた。次の章では、不動産が実際に生み出す収益を、見ていくことにする。

第二章 収益を見る

一 不動産は、賃料を生む

不動産は、時間の中で、賃料を生む。

家賃を払って住む人や事業をする人がいる限り、その建物には、月々のお金が流れ込んでくる。逆に、税金や修繕、管理のためのお金は、出ていく。残るのは、その差である。

この、入ってきて、出ていく、現実のお金の流れを、キャッシュフローと呼ぶ。

帳簿の上の数字ではない。実際に動くお金である。鑑定評価で収益を見るときも、まずはこの現実の流れに立ち戻る。

二 純収益という考え方

賃料収入から、管理費・修繕費・固定資産税・損害保険料といった費用を差し引いたあとに、手元に残る収益がある。

この、運営にかかる費用を差し引いた純粋な収益を、純収益(NOI)という。

不動産という資産の収益力を測るとき、出発点になるのは、表面的な賃料収入ではなく、この純収益である。費用を含めて見ない限り、収益力はかたちにならない。

三 収益と価格をつなぐ割合

収益と価格を、ひとつの割合でつなぐと、ものの見え方が落ちつく。

一千万円の物件が、年間五十万円の収益を生むなら、収益は価格の五パーセントにあたる。価格に対して、収益がどれだけ回っているか。それを示す数字を、利回りという。

利回りは、収益だけでは決まらない。価格だけでも決まらない。両者の関係の中で、はじめて姿を現す。

四 利回りの種類

利回りという言葉は、ひとつではない。何を収益とし、何を価格とするかによって、見える姿が変わる。

表面利回り

満室を想定した年間賃料を、価格で割った数字。費用を考慮しないため、最も粗いが、最も簡便でもある。物件案内に並ぶ利回りは、たいていこの形である。実態より高めに見えやすい。

実質利回り

年間賃料から運営費用を差し引いた、手取りに近い収益を、価格で割った数字。表面利回りよりも、実際の収益力に近づく。

表面利回りは入口にすぎない。そこから何を差し引くかで、見える収益力は、少しずつ変わっていく。同じ物件であっても、利益の捉え方によって、利回りは違って見える。

五 次の章へ

収益の姿が見えても、それで価格が決まるわけではない。

その収益が、どれだけ確かなものか。続くのか、揺らぐのか。次の章では、その確からしさ、つまり不確実性を、見ていく。

第三章 不確実性を見る

一 収益は、約束ではない

収益の数字が、紙の上に書かれていても、それは未来の約束ではない。

借主は退去するかもしれない。賃料は下がるかもしれない。費用は増えるかもしれない。市場の風向きは、いつでも変わる。

収益が、どれだけ確かなものか。その確からしさによって、求められる利回りは変わる。利回りが変われば、価格も変わる。不確実性は、価格の中に静かに織り込まれている。

二 安全資産という基準

世の中には、「ほぼ確実に返ってくる」と見なされている資産がある。

代表は、国が発行する長期国債である。発行する国の信用が極めて高いとき、その利息と元本は、ほぼ確実に返ってくると考えられている。信用リスクが、ほとんどゼロに近いとされる資産。これを、安全資産と呼ぶ。

長期国債の利回りは、ほぼ「時間に対する対価」だけを反映している、と読むことができる。元本が戻らないかもしれない、という不安への対価は、ほとんど含まれていない。

この利回りは、待つことへの最低限の報酬に近い。

だから安全資産の利回りは、ほかの利回りを考えるときの、基準点になる。

三 リスクプレミアム

国債より高い利回りを、人がほしがるとき、その上乗せ分を、リスクプレミアムという。

不確実性を引き受けることへの対価である。

返ってこないかもしれない。収益が変わるかもしれない。時間がかかって売れないかもしれない。そういう「かもしれない」を引き受ける代わりに、投資家は、安全資産よりも高い利回りを求める。

リスクプレミアムは、恐れから生まれるだけのものではない。

不確実性を引き受ける、という、ひとつの意志のあらわれでもある。

四 利回りの素描

利回りは、ざっくり言えば、安全資産の利回りに、リスクプレミアムを加えて成り立っている。

何も起きない世界の基準が、金利だとすれば、現実の世界でどれだけの不確実性があるかを、リスクプレミアムが示す。

この二つの足し算の上に、不動産という個別の資産の姿が、さらに重なってくる。次の章では、不動産という資産が、なぜ特別な不確実性を抱えているのかを見ていく。

第四章 不動産という資産の不確実性

一 約束された数字に見えるもの

賃料は、契約書の中では、はっきりとした数字として書かれている。

月いくら、年いくら。一見すれば、約束された収益のように見える。

しかし、その収益は、国債の利息のように、完全に固定されたものではない。借主は退去するかもしれない。賃料は、改定によって動きうる。地域の人気は移ろう。建物は古くなっていく。

不動産の収益は、継続を前提にしながら、つねに変化の可能性を含んでいる。

二 個別性ということ

不動産は、ひとつとして、同じものがない。

場所が違えば、街の歩き方が違う。隣の建物が違えば、日当たりも、騒音も違う。借主の業種が違えば、賃料のかたちも違う。物件には、必ず個別の事情がついてまわる。

鑑定評価の世界では、こうした性質を踏まえて、対象不動産の個別性を加味している。同じ街区の物件であっても、まったく同じ尺度では測れない。だからこそ、市場で観察される利回りに、その物件固有の事情を、丁寧に折り込んでいくことになる。

 「金融資産の利回りに、対象不動産の投資対象としての危険性、非流動性、管理の困難性、資産としての安全性等の個別性を加味することにより求める」

 (不動産鑑定評価基準・収益還元法における利回りを求める方法の一つとして示されている考え方を踏まえている。詳細は巻末の原典を参照のこと。)

三 四つの「個別性」

基準の言葉を借りるなら、不動産の個別性は、いくつかの面に分けて見ることができる。

投資対象としての危険性

どれだけ、収益が安定して見込めるか。テナントの信用、立地、用途。これらが、収益のぶれの大きさを決める。

非流動性

売ろうと思ったとき、すぐには売れない。買い手が現れるまでに時間がかかり、その間に価格は動く。株や債券のように、画面ひとつで取引が決まる世界とは、別の時間が流れている。

管理の困難性

不動産は、放っておけば、傷んでいく。空室になれば、誰かが埋めなければならない。修繕、清掃、契約管理。動かし続けるためには、手間がかかる。

資産としての安全性

 一方で、土地と建物という、目に見えるかたちで残る資産でもある。担保として扱われることも多く、金融の世界の中で、一定の安定性を持つ資産として見られる場面もある。

四 契約は未来を固定しようとし、市場は未来を変え続ける

契約は、未来を固定しようとする。

月いくら、何年契約、更新の条件はこう。書面の上で、明日も明後日も、来年も、収益のかたちが続くと約束される。

しかし市場は、変化を続ける。

景気は揺れる。金利は動く。人口は移る。需要の中心は、ある日、別の街に移る。

不動産の価格は、その間で揺れている。

固定しようとする契約と、変化する市場。両方の力を受け止めながら、価格は、その日その日の均衡点に立っている。

五 次の章へ

不動産は、複数の不確実性を抱えている。

その不確実性を引き受けるとき、人は、安全資産の利回りに、それぞれの上乗せを求める。次の章では、その「求められる利回り」を、三つの視点から眺めていく。

第五章 三つの利回り

不動産にまつわる利回りは、見る角度によって、姿を変える。

ここでは、三つの角度から眺める。

市場を観察する数字。投資家が判断する数字。鑑定評価が価格を組み立てる数字。

同じ「利回り」という言葉で語られていても、起点と用途が違う。

一 観察する利回り

市場で実際に取引が起こった結果として、外から観察できる利回りがある。

売買事例を集め、収益と価格の比をとる。そうすると、ある時期、ある地域の物件が、どのくらいの利回りで取引されているかが、見えてくる。表面利回り、実質利回り。第二章で見たそれぞれの利回りは、観察の対象として並んでいる。

ここでの利回りは、事後の数字である。すでに起きた取引のあとから、市場の姿をうつしとるもの。観察する側は、価格と収益という二つの事実を受け取り、その間の割合を読む。

二 判断する利回り

投資家が、この物件を買うかどうかを決めるときに、心の中で動かす利回りがある。

「この物件に投資するなら、最低限、これだけは回ってほしい」。そう思う水準がある。金利の高さ、物件のリスク、流動性の低さ、自分の資金の事情。さまざまな条件を踏まえて、自分の中に、ひとつの基準が立つ。これを、ここでは投資家が求める利回りと呼んでおく。

市場全体でも、似た判断は重なる。多くの投資家が「この種の物件なら、これくらいは必要だろう」と考えれば、おのずと、ある水準ができてくる。これを、市場で形成される利回りの水準と呼ぶ。

 なお、不動産鑑定評価基準においては、「期待利回り」という語が、賃料を求めるための基礎利回り(積算法における元本に対する純賃料の割合)として用いられている。本書で言う「投資家が求める利回り」「市場で形成される利回りの水準」と、用語が重なってしまうため、混同を避けるべく、本書ではこの呼び方を採っている。基準上の「期待利回り」については、巻末の原典で確認していただきたい。

判断する利回りには、もうひとつの面がある。

投資家は、価格を受け取って判断する。提示された価格で買えば、自分の求める利回りに合うか。合わなければ、価格を下げてもらうか、見送る。価格は、求める利回りに合う「上限」として、現れてくる。

だから、現実の市場では、こんな順序で動いていることが多い。投資家はまず、自分はどれだけの利回りがほしいかを心の中に持っている。その利回りから、この物件に出せる上限の価格を逆算する。提示された価格が、その上限以下なら買い、上限を超えれば、見送る。

価格は、しばしば「出せる上限」として、決まっていく。

三 評価する利回り

鑑定評価は、価格を結論として導く仕事である。

市場で観察される利回りと、投資家が求める利回りの水準を、ともに踏まえながら、対象不動産の個別性を、そこに丁寧に重ねていく。そして最後に、その物件にふさわしい一つの利回りを、評価のために用意する。

これを、評価する利回りと呼んでおこう。

投資家は、価格を受け取って判断する。

鑑定評価は、価格そのものを組み立てる。

視点の起点が、ちょうど逆になっている。観察する利回りも、判断する利回りも、評価する利回りを支える材料になる。基準の言葉で言えば、収益還元法における還元利回りや、DCF法における割引率が、この「評価する利回り」にあたる。

四 利回りは、時間と不確実性をつなぐ

利回りは、将来の収益を、現在の価格へ変換するための数字であると同時に、不動産が抱える不確実性を、価格の中へ静かに折り込むための数字でもある。

二つの役割を、同じひとつの数字が引き受けている。だから、利回りの読み方が変われば、価格の見え方も変わる。

次の章では、評価する利回り、すなわち還元利回りと割引率を使って、収益から価格を組み立てる方法を見ていく。

第六章 価格へ変換する

収益が見え、利回りが定まれば、価格は組み立てられる。

収益を、利回りで割る。これが、収益還元法のいちばんの骨格である。

一 還元利回り

収益を価格に変換するために用いる利回りを、還元利回りという。

市場で観察される利回りと、投資家が市場で形成する利回りの水準を踏まえつつ、対象不動産の個別性を加味して整えられた、評価のための利回りである。直接還元法において、一期間の純収益を割るときに、この還元利回りを用いる。

還元利回りは、ただの割り算の道具ではない。

金利という土台の上に、リスクプレミアムが重なり、さらに対象不動産の個別性が重なってできあがった、ひとつの「読み」の結果である。

二 直接還元法

一期間の純収益を、還元利回りで割って価格を求める方法を、直接還元法という。

年間の純収益が五百万円、還元利回りが五パーセントであれば、価格はおよそ一億円となる。

計算そのものは単純だが、その背景には、ここまで歩いてきた道のりがすべて入っている。

 収益 ÷ 還元利回り = 価格

この単純な式の中に、お金の時間価値も、安全資産の基準も、リスクプレミアムも、対象不動産の個別性も、まとめて織り込まれている。直接還元法は、収益が比較的安定して続くと見込まれる場合に向いた、実務の基本形である。

三 DCF法と割引率

収益は、必ずしも一定ではない。

年ごとに変動するかもしれない。途中で大きな修繕が必要になるかもしれない。一定の保有期間ののち、売却することを前提にするかもしれない。

そのような複数期間の収益と、最終的な売却見込価格を、ひとつずつ現在価値に割り戻して合計する方法を、DCF法(ディスカウンテッド・キャッシュフロー法)という。

ここで割り戻すために用いる利回りを、割引率という。

還元利回りが「収益を価格に変える割合」だとすれば、割引率は「将来のお金を現在に引き戻すための割合」である。出てくる場所はちがうが、もとをたどれば、どちらも金利と不確実性の上に立っている。

DCF法では、毎期の純収益と、保有期間の最後に見込まれる売却価格(復帰価格と呼ばれる)を、それぞれ割引率で現在価値に直し、すべて足し合わせる。手間はかかるが、収益の変動や保有期間を、明示的に扱うことができる。

四 時間を整える係数たち

DCF法のような計算を扱うとき、いくつかの係数が、時間を整える道具として現れてくる。それぞれは、お金の時間価値を、別の角度から表したものにすぎない。

複利現価率

n年後の一円が、いま、いくらに相当するか、を示す係数。割引率を一定とすると、年数が増えるほど、この係数は小さくなっていく。遠い未来のお金は、現在から見れば、軽い。

複利年金現価率

毎期一定額のキャッシュフローを、ある期間ぶん、現在価値に引き戻すための係数。賃料が一定で続くと見立てる単純化の中で、便利な道具になる。

元利逓増償還率(収益が逓増する場合の現価率)

収益が、一定の率で少しずつ増えていく場合に、それを現在価値に直すための係数。物価や賃料が、長い目で見て上向くと見立てる場面で出てくる。

係数の数式そのものを暗記する必要はない。

大事なのは、「いずれの係数も、お金の時間価値という性質を、扱いやすいかたちに整えた道具にすぎない」という感覚である。

五 価格が立ち上がるまで

ここまでの流れを、もう一度、ゆっくりとたどっておく。

お金には時間価値がある。

安全資産には、その時間価値を映した基準の利回りがある。

不動産という資産には、複数の不確実性がある。

投資家は、その不確実性を引き受けるために、安全資産の利回りに上乗せを求める。

市場の中で、その上乗せはおおよその水準をかたちづくっていく。

鑑定評価は、その水準を読み、対象不動産の個別性を加味して、還元利回りや割引率という「評価する利回り」に整える。

その利回りを使って、収益を現在価値に変換する。

そうして、価格が立ち上がる。

逆向きに見ても、同じ道が見える。

日本銀行の金融政策が、短期金利に作用し、市場では長期金利や国債利回りが形成される。銀行はそれを踏まえて貸出金利を決め、投資家は資金調達の条件をふくめて、自分の求める利回りを描く。市場の中で、それらが擦り合わされ、不動産の取引価格に映っていく。

価格は、ある日突然立ち上がるのではない。

金利と、不確実性と、対象不動産の個別性が、長い時間のあいだに、何度も均衡を取り直しながら、その日の数字をかたちづくっている。

六 第一章への帰還

第一章で、こう書いた。

お金は、時間の中で動く。金利はその動きの基準であり、割引はその逆算である。

収益還元法は、その逆算を、不動産という個別の資産に当てはめたものにほかならない。

ここまで歩いてきた道のりは、ひとつの問いに収まる。

 不動産の価格は、お金の時間構造のうえに、どう立ち上がるのか。

その答えの輪郭が、すこしでも見えていれば、この本の役目は、半分ほど果たせたことになる。残りの半分は、これから読者が、実務の風景の中で確かめていく仕事である。

終章 価格の向こうへ

ここからは、本書の射程を、ほんの少しだけ越えた話になる。

第一章からここまで、お金の時間価値、収益、不確実性、安全資産の利回りとリスクプレミアム、観察する利回り・判断する利回り・評価する利回り、そして還元利回りと割引率を用いた収益還元法までを、ひとつの川のようにたどってきた。

不動産の価格は、突然どこかで決まる数字ではない。

時間の中を流れるお金と、不確実性への向き合い方が、市場の中で重なり合い、その時点の価格として、静かに立ち上がってくる。

そして、不動産鑑定評価基準に書かれている還元利回りや割引率の考え方も、まさにこの川の上に置かれている。基準が示しているのは、不動産だけで完結する理屈ではなく、金融市場と地続きの世界における利回りなのである。

一 基準が指している、金融市場との関連

不動産鑑定評価基準は、総論第七章(収益還元法)において、還元利回りと割引率について、次のように述べている。

 「還元利回り及び割引率は、共に比較可能な他の資産の収益性や金融市場における運用利回りと密接な関連があるので、その動向に留意しなければならない」

 (不動産鑑定評価基準・総論第七章 収益還元法より。詳細は巻末の原典を参照のこと。)

不動産だけを見ていても、利回りは決まらない。

国債の利回り、金融市場の金利、銀行の貸出金利、投資家が他の資産に求める収益性。それらが動けば、不動産に求められる利回りも、静かに動く。第三章で見た安全資産の利回りやリスクプレミアム、第四章で引いた「金融資産の利回りに不動産の個別性を加味して求める方法」、第五章で見た「市場で形成される利回りの水準」。いずれも、この「金融市場との関連」を、別の角度から言い直したものだったとも言える。

金利が変われば、不動産価格の見え方も変わる。安全資産の利回りが上がれば、投資家が不動産に求める利回りも、少しずつ動いていく。基準が「その動向に留意しなければならない」と書きとめているのは、けっして見えない手の話ではない。ふだん目に映っている金融の風景の中で、利回りはゆっくりと組み立てられていく、という静かな確認である。

二 借入金と自己資金、そしてWACCの方角

不動産を取得するとき、人は、自分のお金だけで買うとは限らない。

借入金を使い、残りを自己資金でまかなう。それが、実務ではむしろ普通である。

すると、その不動産にまつわる利回りは、ひとつではなくなる。借りたお金に対して支払う利回り。自分で出したお金に対して求める利回り。同じ物件の収益が、二種類の資金へ、それぞれの割合で配分されていく。

基準は、還元利回りを求める方法の一つとして、次のような考え方を示している。

 「対象不動産の取得の際の資金調達上の構成要素(借入金及び自己資金)に係る各還元利回りを、各々の構成割合により加重平均して求める方法」

 (同じく総論第七章 収益還元法より。還元利回りを求める方法として複数挙げられているうちの一つである。)

借入金の利回りと、自己資金の利回りを、構成比でならして、ひとつの還元利回りに整える。

これは、企業金融の世界で語られる加重平均資本コスト(WACC)と、ほとんど同じかたちをしている。企業金融では、株主から見た自己資本コストと、債権者から見た負債コストを、構成割合でならして、企業全体の資本コストを描く。不動産の世界では、自己資金の利回りと借入金の利回りを、構成割合でならして、その物件の還元利回りを描く。

問いも、よく似ている。「この資金は、全体として、どれくらいの利回りを求めているのか」。基準の語り口と、企業金融の語り口は、ちがう川岸を歩いてきたように見えて、川の中央で、静かに合流している。

三 レバレッジと、利回りの増幅

借入を組み合わせると、自己資金に対する利回りは、もとの物件利回りより、大きく動く。

これを、レバレッジという。

物件の利回りが、借入金利より高ければ、自己資金側の利回りは押し上げられる。物件利回りが借入金利を下回れば、容赦なく削られる。

上向きにも、下向きにも、増幅は働く。レバレッジは、増幅の仕組みであって、安全装置ではない。

物件利回りと借入金利との差を、イールドギャップ、あるいはスプレッドと呼ぶことがある。この差は、金利が動けば動き、市場で求められる利回りが動けば動く。

また、物件価格に対する借入の割合を、LTV(ローン・トゥ・バリュー)といい、純収益に対する元利返済の比率を、DSCR(デット・サービス・カバレッジ・レシオ)と呼ぶ。前者は借入の重さを、後者は収益の呼吸の深さを測る指標である。

金融市場の変化は、遠い世界の出来事ではない。

利回りという通路を通って、不動産価格の中まで、ゆっくりと波のように届いている。

四 森の奥へ続く小径

金融の世界では、「投資家は、どれだけのリスクに対して、どれだけの利回りを求めるのか」を整理しようとする試みが、長い時間をかけて積み重ねられてきた。

CAPM(資本資産価格モデル)は、株式の期待される利回りを、安全資産の利回りと市場全体に対する感応度から組み立て直そうとした考え方である。MM理論は、企業の価値が、その資本構成によってどう変わるか、あるいは変わらないかを、整理し直そうとした古典的な議論である。

将来の複数のキャッシュフローを、ひとつの利回りに要約するIRR(内部収益率)は、第六章で出会ったDCF法と、同じ世界に立っている。複数の資産を組み合わせて、相関とリスクを分散するポートフォリオ理論も、その先に広がる森である。

本書では、そこまでは踏み込まない。

ただ、第二章から第六章までで歩いてきた利回りの道のりは、その奥で、これらの議論と地続きにつながっている。還元利回りや割引率の背景には、金融の長い思考の積み重ねが、遠くで支えている。そのことだけを、森の出口に、静かに書き残しておきたい。

五 価格は、揺れの中に立っている

不動産の鑑定評価は、けして孤立した技芸ではない。

金融市場の流れの中で、金利が動き、安全資産の利回りが動き、市場参加者の不確実性への向き合い方が変わる。そのたびに、還元利回りや割引率もまた、少しずつかたちを変えていく。基準が「その動向に留意しなければならない」と書きとめているのは、まさにこの変化を見落とさないように、という静かな注意なのだろう。

価格は、その水脈の上で揺れている。

揺れを止めようとしないこと。

揺れの中で、いま、どのあたりに価格が立っているのかを、ていねいに読むこと。

それが、鑑定評価という仕事の、ひとつの姿だと思う。

あとがき

古い帳面を整理していて、いちばん心に残ったのは、書き手の慎重さだった。

どこを読んでも、断定的な物言いが少ない。「およそ」「概ね」「のように見える」。そういう曖昧な言葉が、何度も繰り返されていた。最初は読みにくく感じたが、しばらく付き合ううちに、これは曖昧さではなく、誠実さなのだと分かってきた。

不動産の価格は、ひとつの式に押し込められない。

収益はゆらぎ、市場はうつろい、対象不動産にはそれぞれの事情がある。基準や運用上の留意事項は、その揺らぎの中で踏み外さないための、手すりのようなものだ。手すりに頼り切らず、しかし手すりを外さず、実務を歩いていく。書き手は、そのような姿勢で帳面を綴っていたように思う。

本書は、その帳面の輪郭を、初心者の方向けに描き直したものである。

用語の定義は、できるだけ基準の流儀を尊重した。一方で、定義を並べることそのものは、目的にしなかった。第一章のお金の時間価値から、第六章の収益還元法までが、ひとつの川のようにつながって読めること。それを、いちばん大切にした。

読み終えたあと、本棚に戻していただいてかまわない。

ただ、街を歩いているとき、どこかの建物の前で、ふと「この物件は、どんな利回りで取引されているのだろう」と思う瞬間があったなら、そのとき、もう一度、開いてみてほしい。

そして、実務で具体的な評価にあたるときは、必ず、最新の原典に立ち戻ること。制度も運用も、静かに、しかし確実に、更新されていく。

ミッドナイト文庫 編集部

この本の奥にある原典

この本は、以下の原典をもとに整理しています。

制度や運用は更新されるため、実務で利用する際は、最新の原典をご確認ください。

・不動産鑑定評価基準(国土交通省)

https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_fr4_000043.html

・不動産鑑定評価基準運用上の留意事項(国土交通省)

https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_fr4_000043.html

・価格等調査ガイドライン(国土交通省)

https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_fr4_000043.html

・国土交通省 不動産鑑定評価関連資料

https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_tk_000010.html

・公益社団法人 日本不動産鑑定士協会連合会 公表資料

https://www.fudousan-kanteishi.or.jp

※リンク先は、執筆時点で確認できたものを掲載しています。アクセス先の構成は変わることがあります。最新の情報は、各機関の公式サイトでご確認ください。

― ミッドナイト文庫 ―

『お金の時間構造』

不動産価格を形成する金利と時間の読み方

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