ミッドナイト文庫|割高と割安は、どこから生まれるのか──比べる先によって変わる価格の見え方
夜の森図書館の、いちばん奥。
古い本棚に、表紙の薄れた一冊がある。
著者の名は、もう読めない。
ただ、昔の鑑定士が実務の森を歩きながら、
価格の背景にある考えを書き留めたもの、
と伝わっている。
これは、値段の付け方を教える本ではない。
「高い」「安い」という感覚が、
そもそもどこから生まれてくるのかを、
静かにたどっていくための一冊である。
はじめに|まえがき ── 物差しのほうを見る
値段というものは、不思議なものです。札に書かれた数字そのものは、ただの数にすぎません。三千万、という文字を見ても、それが高いのか安いのか、私たちはすぐには言えない。にもかかわらず、私たちは日々、ためらいなく「高い」「安い」とつぶやいています。
その感覚は、いったいどこから来るのでしょうか。
この本がたどろうとしているのは、価格そのものではありません。価格を測るための、物差しのほうです。割安な物件の探し方でも、投資の判断のしかたでも、儲かる対象の選び方でもありません。そうした話を期待された方には、申し訳ない気持ちで先にお詫びしておきます。
私が長く歩いてきたのは、不動産の鑑定評価という、地味な森でした。そこでは毎日、ひとつの土地、ひとつの建物に、値を付けていきます。けれども年を重ねるほどに、私の関心は値そのものから、少しずつ離れていきました。なぜ人は、ある価格を見て高いと感じ、別の価格を見て安いと感じるのか。その感覚の出どころのほうが、よほど深く、よほど面白く思えてきたのです。
結論を先に言ってしまえば、こうです。人は、絶対的な価格を見ているのではありません。いつも、何かと比べながら価格を受け取っている。割高も割安も、価格の中にあるのではなく、価格と物差しのあいだに生まれてくる。
株式市場の人々が使うPERやPBR、REIT市場の利回りやNAV倍率、そして私たち鑑定士が用いる取引事例比較法、収益還元法、原価法。これらはみな、形こそ違え、「何と比べるか」という同じ問いから生まれた道具です。本書では、それぞれの指標を計算する方法を説くのではなく、その指標がなぜ生まれ、人を何と比べさせているのかを、夜の森の視点から静かに見ていきます。
物差しのほうを見る。たったそれだけのことですが、いちど物差しのほうへ目を移すと、価格という風景は、まるで違って見えはじめます。
第一章|「高い」と「安い」は、どこにあるのか
ひとつ、簡単な問いから始めましょう。「この土地は三千万円です」と言われたとき、あなたはそれを高いと感じるでしょうか、安いと感じるでしょうか。
おそらく、すぐには答えられないはずです。情報が足りないからではありません。比べる相手が、まだ与えられていないからです。
数字は、それだけでは語らない
三千万円という数字は、それ自体としては何も語りません。となりの土地が五千万円で売れていたと知った瞬間、その三千万円は急に安く見えはじめます。逆に、似たような土地が二千万円で取引されていたと聞けば、同じ三千万円が、にわかに高く感じられる。価格は変わっていないのに、感覚だけが裏返るのです。
つまり、高い・安いという感覚は、価格そのものに宿っているのではありません。価格と、心の中に置かれた何か――比較の相手――との関係の中に、立ち上がってくる。私たちはそれを、まるで価格の性質であるかのように口にしますが、ほんとうは関係の性質なのです。
心は、いつも何かと並べている
人の心は、絶対的な量をそのまま受け取ることが、あまり得意ではありません。一万円が高いか安いかは、それが一杯のコーヒーの代金なのか、ひと月の家賃なのかで、まるで違ってきます。私たちは数字を、いつも何かのとなりに並べて、その差や比で受け取っている。
不動産でも同じです。同じ家賃でも、隣の部屋がもっと安ければ高く感じ、もっと高ければ得をした気になる。同じ利回りでも、世の中の金利が低ければ魅力的に見え、金利が上がればもの足りなく見える。価格を受け取る心は、つねに背後で、静かに何かと並べているのです。
だとすれば、「高い」「安い」をめぐる話は、価格を調べる話であると同時に、何と並べているのかを問う話でもあります。並べる相手が変われば、同じ価格が割高にも割安にも姿を変える。この、当たり前のようでいて見落とされがちな事実が、本書の出発点です。
物差しという言葉について
そこで本書では、この「比較の相手」を、物差しと呼ぶことにします。長さを測るには物差しが要るように、価格の高低を測るにも、何らかの物差しが要る。利益かもしれない、純資産かもしれない、家賃収入かもしれない、よく似た取引かもしれない。どれを物差しに選ぶかによって、目盛りの読み方は変わります。
次の章からは、人々がどのような物差しを発明してきたのかを、市場ごとにたどっていきます。まずは、もっとも多くの物差しが磨かれてきた場所――株式市場から、森を分け入っていきましょう。
第二章|物差しをつくった人々 ── PERとPBRの背景
株式市場は、価格の物差しが数多く磨かれてきた場所です。そこでは、規模も業種もばらばらの会社が、ひとつの市場に並んでいます。ある会社の株価は二千円、別の会社は二万円。けれど、この二つの数字を直に比べても、どちらが割高かはわかりません。一株の値段は、その会社をいくつの株に分けたかによって大きく変わってしまうからです。
そこで人々は、価格を価格のまま比べることをあきらめ、価格を何かで割るという工夫にたどり着きました。
PER ── 利益という物差し
ひとつの答えが、株価を一株あたりの利益で割る、という見方でした。のちにPER(株価収益率)と呼ばれるものです。難しい式に見えますが、やっていることはシンプルです。価格を、その会社が生み出す利益のとなりに並べてみる。すると、「この値段は、利益の何年分にあたるのか」という、規模を越えて比べられる目盛りが手に入ります。
ここで大切なのは、数値の計算ではありません。人々が、価格そのものでは比べられないと気づき、利益という物差しを当てがった、その発想のほうです。利益を物差しに選んだ瞬間、株価は「利益に対して高いか安いか」という新しい言葉で語れるようになりました。割高・割安という感覚に、共通して語るためのものさしが与えられたのです。
PBR ── 純資産という物差し
けれど、利益はひとつの物差しにすぎません。会社が今この瞬間に持っている財産――純資産のほうを物差しにとれば、また別の見え方が現れます。株価を一株あたりの純資産で割る見方、のちのPBR(株価純資産倍率)です。これは、「市場の付けた値段は、会社の持ち物から負債を差し引いた正味の価値――純資産の何倍か」を映します。
同じ会社、同じ株価でも、利益という物差しで見れば割安に、純資産という物差しで見れば割高に映ることがある。逆もまた起こります。物差しが変われば、割高と割安が入れ替わる。第一章で見た現象が、ここではっきりと形を取ります。
なぜ、物差しは生まれたのか
PERもPBRも、はじめから天から与えられた真理ではありませんでした。比べられないものを、どうにかして比べたいという、市場の人々の切実な願いから生まれた道具です。利益で割るか、純資産で割るか――それは、価格を何のとなりに置きたいか、という選択でもあります。
そして、この選択こそが肝心なのです。指標とは、答えではなく問いの立て方です。何を物差しに選ぶかで、同じ価格の風景はまったく違って見える。次の章では、この物差しの話を、私たちにより近い場所――不動産と、その証券であるREITの市場へと、移していきましょう。
第三章|利回りという物差し ── 収益とNAVのあいだで
不動産という森に入ると、もっともよく使われる見方が、ひとつ姿を現します。利回りです。
価格を、その不動産が生み出す収益のとなりに並べる。価格を何かを生み出す力と比べるという考え方は、株式市場でも不動産市場でも共通しています。
利回り ── 収益のとなりに価格を置く
ある建物が、一年に二百万円の純収益(賃料から費用を差し引いて手もとに残る収益)を生むとします。価格が四千万円なら、収益は価格の五パーセントにあたります。価格が八千万円なら、二・五パーセント。純収益は同じでも、価格が変われば利回りは変わり、そして「割に合うかどうか」の感覚も変わります。
ここでも、目を向けたいのは数字ではなく構図です。利回りという見方は、価格を収益のとなりに置くことで、「この値段は、生み出すお金に対して高いか安いか」を測ろうとする。価格そのものを見ているようでいて、人はそのとなりに置かれた収益との関係を見ているのです。
そして利回りには、もうひとつの相手がいます。世の中の金利です。金利が低い時代には、低い利回りでも魅力的に見え、金利が上がれば、同じ利回りがもの足りなく映る。価格を測る物差しそのものが、時代とともに伸び縮みしている、と言ってもよいでしょう。
NAV倍率 ── 値段を、価値のとなりに置く
不動産を小口の証券にしたREITの市場には、NAV倍率という、もうひとつ味わい深い物差しがあります。NAVとは、保有する不動産の時価を反映した純資産価値のことです。NAV倍率は、市場が付けた値段を、このNAVのとなりに並べてみる。
ここで静かに気づいてほしいことがあります。NAVのもとになっている不動産の価値は、多くの場合、私たち鑑定士が評価した額――鑑定評価額に支えられています。市場価格と鑑定評価額、二つの値を並べて、市場は今この資産を、その本来の価値より高く見ているのか、安く見ているのかを測ろうとする。価格を、また別の価格のとなりに置いているのです。
倍率が一を超えれば、市場は割高に評価し、一を下回れば割安に見ている――そう語られます。けれど思い出してください。割高も割安も、価格の中にあるのではなく、二つの値の関係の中に生まれている。NAV倍率もまた、何と比べるかという物差しのひとつにすぎません。
物差しは、別の物差しに支えられている
利回りは収益を物差しにし、NAV倍率は鑑定評価額を物差しにする。そして、その鑑定評価額もまた、何かとの比較から導かれている。物差しの足もとを掘っていくと、その下にまた別の物差しが眠っている。価格の世界は、こうした比較の層が、幾重にも積み重なってできているのです。
では、その地層のいちばん下――鑑定評価そのものは、何と何を比べているのでしょうか。次の章で、私の歩いてきた森の、いちばん奥へご案内します。
第四章|鑑定評価の三つのまなざし
不動産の鑑定評価には、価格を求めるための三つの手法があります。取引事例比較法、収益還元法、原価法。不動産鑑定評価基準が定める、この三つです。専門の道具のように響きますが、本書の視点からながめれば、いずれも「価格を何のとなりに置くか」という、物差しの選び方にほかなりません。三つの手法は、ひとつの対象を、三つの異なるまなざしで見ているのです。
取引事例比較法 ── よく似た取引のとなりに置く
三つのまなざしの中で、もっとも人の感覚に近い手法かもしれません。評価しようとする不動産を、近くで実際に成立した取引事例のとなりに並べ、条件の違いを補正しながら、価格を導きます。こうして求めた価格を、比準価格と呼びます。
ここでの物差しは、現実に取引された他者の価格です。「世間は、似たものにいくら払ったのか」を物差しにして、目の前の不動産を測る。
第一章で見た、三千万円という価格が隣の取引によって高くも安くも見えた、あの感覚を、より丁寧にたどっているのが、この手法だと言ってもよいでしょう。
収益還元法 ── 生み出す収益のとなりに置く
次のまなざしは、その不動産が将来生み出すであろう純収益に向けられます。純収益を還元利回りで割り戻して価格を求める直接還元法と、将来の収益の流れを一つひとつ現在の価値に割り引いて積み上げるDCF法。こうして導かれる価格を、収益価格と呼びます。
ここでの物差しは、収益です。前章で見た利回りの考え方を、価格の判断に取り入れたものだと言えます。
「この不動産は、いくら生むのか。その収益に照らして、この価格は見合っているのか」。価格を、未来の収益のとなりに置くまなざしです。
原価法 ── つくり直す費用のとなりに置く
三つめのまなざしは、少し趣が異なります。もしこの建物を今あらためてつくり直すとしたら、いくらかかるか――再調達原価を求め、そこから時の経過による減価を差し引いて、価格を導きます。これを積算価格と呼びます。
ここでの物差しは、つくり直すための費用です。市場でいくらで売れるかでも、いくら生むかでもなく、「同じものをこしらえるのに、どれだけかかるか」を物差しにする。同じ不動産でも、取引事例で見るか、収益で見るか、原価で見るかによって、現れる価格は静かに食い違っていきます。
三つの試算価格を、ひとつに調える
比準価格、収益価格、積算価格。三つの物差しが示した、三つの試算価格。鑑定士は、それらを機械的に平均するのではなく、対象や市場の性格を見極めながら、どの物差しをどれだけ重んじるべきかを吟味し、ひとつの鑑定評価額へと調整していきます。市場で通常成立すると考えられる価格、すなわち正常価格を求めるとは、こうした営みのことです。
ここに、ひとつの慎ましい真実があります。価格に値を付ける専門家である鑑定士でさえ、絶対的な価格をどこかから直に取り出しているわけではない、ということ。三つの比較を重ね、それぞれのまなざしを照らし合わせながら、そのあいだから価格を立ち上げている。
鑑定評価とは、比較によって価格を見いだす技術なのです。
だとすれば、割高・割安という素朴な感覚と、鑑定評価という精緻な手続きは、案外、地続きなのかもしれません。どちらも、価格を何かのとなりに置いて、その関係から高低を読み取ろうとしている。次の最終章では、ここまでたどってきた道を一本に束ねて、割高と割安がほんとうはどこで生まれているのかを、見届けたいと思います。
第五章|割高と割安が生まれる場所
ここまで、いくつもの物差しを見てきました。利益、純資産、収益、金利、NAV、取引事例、再調達原価。市場も、呼び名も、手続きも違いますが、どれも同じ一つのことをしています。価格を、何かのとなりに置いて、その関係を読むこと。
割高・割安は、関係の中に生まれる
ここまで来ると、ひとつのことが、はっきりと見えてきます。割高や割安は、価格の中にあるのではありません。価格と物差しとの関係の中に生まれるのです。
同じ三千万円が、ある取引事例のとなりでは割高に見え、別の事例のとなりでは割安に見える。収益の物差しで見れば割安なのに、つくり直す費用の物差しで見れば割高に映る。
価格は、まったく動いていません。動いているのは、私たちが当てがう物差しのほうです。
だから、「これは割安だ」と誰かが言うとき、ほんとうに問うべきは値段ではありません。何を物差しにして、そう言っているのか。その物差しは、いまこの状況にふさわしいのか。割安という言葉は、価格についての判断であると同時に、自分がどの物差しを手にしているのかを示しているのです。
物差しを選ぶ、ということ
鑑定士が三つの試算価格を調整するとき、ほんとうに行っているのは、どの物差しをどれだけ信じるかという、まなざしの配分です。収益が物を言う不動産では収益の物差しを重んじ、取引の厚い市場では事例の物差しに耳を澄ます。物差しは、対象によって選び直されるべきものなのです。
ひとつの物差しだけを握りしめていると、その目盛りが世界のすべてに見えてきます。収益ばかりに目をとられていれば、収益を生まない価値が目に入らなくなる。事例ばかりを追えば、市場そのものの過熱を疑えなくなる。複数の物差しを持ち、そのあいだを行き来できることが、価格を考えるうえでの大切な姿勢なのだと思います。
価格の背景にある世界
私たちは、絶対的な価格を見ているのではありませんでした。いくつもの物差しとの関係の中に立ち上がる価格を見ていたのです。
だからこそ、物差しが変われば、価格の見え方もまた変わっていきます。
値段の付け方を覚えるより、自分がいま何を物差しにしているのかに気づくこと。それができたとき、価格という風景は、ずいぶんと静かに、見通しよく広がっていきます。
この本が、そのきっかけになれば幸いです。
おわりに|あとがき ── 物差しを選ぶということ
この本は、割安な物件を見つける方法にはふれませんでした。書こうとして、書けなかったのではありません。はじめから、別のことを書こうとしていたのです。
私が伝えたかったのは、割高・割安という感覚そのものが、どこから来るのかということでした。それは価格の中にではなく、価格と物差しの関係の中に生まれる。物差しを取り替えれば、同じ価格が裏返る。ならば、私たちにできるいちばん大切なことは、よい物差しを一本だけ探すことではなく、自分がいまどの物差しを手にしているかを意識することなのだと思います。
PERも、利回りも、NAV倍率も、そして鑑定評価の三手法も、すべては「何と比べるか」という、人の自然な思考から生まれた道具でした。道具は便利ですが、1つの道具だけを握りしめると、視界を狭くしてしまう。ときには、別の物差しから眺めてみること。そのときふと、見慣れた価格が、これまでと違う顔を見せることがあります。
この手記が、夜の森のどこかで、あなたの物差しを一つ、増やす助けになれば。名を残さぬ書き手として、それ以上に願うことはありません。
── ミッドナイト文庫
この本の奥にある原典
この本は、以下の原典をもとに整理しています。
制度や運用は更新されるため、実務で利用する際は最新の原典をご確認ください。
不動産鑑定評価基準(国土交通省)
https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_tk4_000024.html
不動産鑑定評価基準運用上の留意事項
https://www.mlit.go.jp/common/001204077.pdf
価格等調査ガイドライン
https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_tk4_000024.html
国土交通省 不動産鑑定評価関連資料(不動産鑑定評価ポータルサイト)
https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/totikensangyo_tk4_000023.html
公益社団法人 日本不動産鑑定士協会連合会 公表資料
https://jarea.org/public_doc/laws_guidelines.html
※リンク先は、執筆時点で確認できたものを掲載しています。
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